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(Tue)14:37

今古奇観 その四


第四話「杜十娘怒沉百宝箱」
「警世通言」十編の中からの一遍。中国でもかなり有名な作品で、映画にもなったりしています。邦題は「杜十娘が怒りに百宝の箱を投げ捨てる(厳密には沈める)こと」

ものがたり
時は明の万歴年間、北京の色街へ出歩いた李公子が出会った廓の名妓杜十娘。遊び好きで美男&金持ちの李公子はすっかり彼女に入れ込んでしまい、李十娘もまた彼のことを心から愛するように。しかし名妓だけあって、彼女のもとへ通ううちに李公子は素寒貧になってしまう。意地の悪い廓のかみさんはそんな李公子の窮状を知ったうえで、千両出せれば十娘を身請けさせてやってもいいと告げる。李十娘は幸いへそくりがあり、七百両までは工面することが出来た。李公子は同じ学生の友人、柳遇春に頼んで残りの金を集め、とうとう十娘を廓から連れ出す。ひとまず、厳格な父に妻を得たことを報告するため一路故郷を目指した二人だったが、途中船で小さな宴をした晩、孫富というよこしまな男が十娘の美貌と歌声に目をつける。孫富は言葉巧みに十娘と別れるよう李公子に語り、自分に十娘を引き渡す代わりに千両を差し上げるので、それで故郷の厳格な父に申し開きをすればよいと述べた。とうとう李公子もそれを承知し、十娘にそれを話してしまう。十娘は表向き孫富の考えを褒め称えた。が、翌日孫富と船上で取引する寸前、十娘は廓の同輩から貰っていた千金の財産(夫には内緒で隠し持っていた。郷里の舅にこれを見せて、結婚を納得してもらうため)を投げ捨て、李公子の不甲斐なさを罵って自らは川に身を投じてしまう。李公子と孫富はどちらもみじめな最期を遂げる。やがて都にいた柳遇春のもとへ、その十娘の捨てた宝が流れ着く。その晩、彼女は霊となって柳遇春の前に現れ、かつて身請けを手伝ってくれたことの礼を述べ、消えたのだった。


単純な筋書きながら、細かいところでこみいった事情があるので、何だか変なあらすじに。ごめんなさい。
まず時代考証としては、私の大好きな万歴年間ということで少々口酸っぱく言いたいところがあったり。本作では万歴期に起きた大三征(ボバイの乱、楊応龍の乱、朝鮮侵略)を平定したということで、史実では暗愚な皇帝であるはずの神宗が有能な皇帝であるかのように書かれている。うーん、なんだそりゃ。実際には、大三征のせいで軍費がかさみ、朝廷は多大な税金を農村へ課す羽目になったわけですが。まあ、都市部は依然として繁栄をほこっていたわけで、あながち間違いではないのかも?

遊女を妻にするというのは世間体にけっこう傷がつくことらしく、厳格な家庭では歓迎されなかった模様。しかし杜十娘は美貌だけでなく中身の方も立派な烈婦であり、そこが物語の肝でもある。
李公子ははっきりいってヘタレ。いわゆる才子佳人小説の男性キャラクターは貧弱な造型である場合が多いが、この作品の李公子はまさにそのヘタレのもっともたるもの。
いわゆる才子佳人小説の逆を目指しているのだろう。モテない士大夫層が己の願望をむき出しにして書いた才子佳人小説において、主人公のお相手の佳人は大抵宰相などの娘で、容貌は並外れ、文学にも通じているという、今どきのラノベでも見かけないようなほど高スペックなキャラであることがしばしば。そんな佳人に対して到底釣り合っていないような主人公が、科挙に合格したり佳人のピンチを救ったりすることでめでたく結ばれる、というのが話のセオリー。
それに比べると本作は、そういった才子佳人小説に出てくるような主人公へに皮肉ともとれるような内容ではなかろうか。そのために、本作はハッピーエンドとはなりえないわけで。
苦界の人間である十娘の方が、むしろよっぽど人間味に溢れ、義気にも溢れている。これも官界の人間に対するアンチテーゼでしょう。庶民にはずっと感情移入しやすいかも。
ちなみに、柳遇春の前に霊として現れた杜十娘は万福の挨拶をする。あの片手は拳を作り、もう片方は平手を作り、両方を胸の前で重ね合わせるやつです。古典小説だと、女性はこの万福で挨拶することが多いのですが、私的にはこの場面がかなり印象深く残っています。あんまり見かけないせいだろうか。紅楼夢なんかにも出てきたりするけど。結構清朝あたりの挨拶という印象が強い。




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(Tue)13:18

今古奇観 その三

まだまだいきます。「今古奇観」のおススメ紹介。
正直、全四十編のいずれも見るべきところのある面白い作品なので、全部のレビューを書くのもまんざらではないのですが……。

第三話「滕大尹鬼断家私」

邦題は「滕大尹が幽霊によって私財をとりさばくこと」。「喩世明言」からの一遍です。

ものがたり
明の永楽年間、順天府に倪という府の長官(別名を太守とも)がいた。倪太守はまじめに蓄財を重ね、善継という跡取りもいる。夫人はとうに無くなり、倪太守自身歳はもうすぐ八十に届く。十月のある日、太守は村の川べりで見かけた十七歳の娘に年甲斐もなく惚れ込んでしまい、ついにその娘、梅氏を妻に迎える。やがて十月の後、梅氏はみごもった。息子の善継夫婦は、跡継ぎが増えてしまえば財産を分けねばならぬので、これが面白くない。倪太守は梅氏の子供を善述と名づけ、五歳のころには勉学を始めさせた。ある日倪太守はふとつまづいたのをきっかけにして病になり、そのまま亡くなってしまう。彼は亡くなる直前、梅氏に対して一枚の掛け軸を渡し、困ったときに賢明なお方へこれを見せて判断をあおぐよう言い残した。太守は欲深な善継の性根を知っていたため、争いにならぬよう土地の殆どを彼に渡し、梅氏にはわずかな土地しか残さなかった。しかし、太守が亡くなった後も善継夫婦の嫌がらせは続く。ある日、新たに赴任した滕県令の名声を聞きつけた善述は、母の梅氏に告訴するよう申し出る。梅氏は太守から生前に渡された掛け軸を持って県令に訴えた。善継はこれはまずいと思い、親戚に金を送って自分の味方につける。
滕県令は掛け軸の謎が解けなかったが、ふとしたきっかけで掛け軸に茶をこぼすと、絵に文字が浮かび上がってきた。そこには隠された遺産の相続について書かれていた。やがて裁判の日、滕県令は一芝居をうつ。倪家に来るなり、大広間でいきなり何やら話し始める。どうやら太守の幽霊と話しているらしい。そして東側の小さな家に行くと、生前に倪太守が善述のために残した大量の遺産があった。これにて善述は暮らし向きも良くなり、勉学を積んで後に繁栄する。逆に善継の方は落ちぶれてしまうのだった。


舞台は明の永楽年間。今回も物語と史実は絡んできませんが、前回紹介した話に比べると、歴史考証の面で突っかかるところは少ない感じ。
まず物語として面白いのが、八十間近のじいさんが十七の娘を娶るというくだり。
息子の善継は、若い女が老人に嫁ぐというのは世間様に対する家名の汚れだし、若い女は老人なんかとの生活に我慢できなくなって脇道に走る(浮気する)にきまってる、と考えるが、まあ確かにごもっともな意見。しかし予想に反して梅氏は真面目に暮らし、子供まで作ってしまう。じいさんの魅力と精力が凄いのか、梅氏が超貞淑なのか…。
そして本作で一番うまい汁を吸ったのが滕県令でしょう。実は太守が残した掛け軸の遺言では、善述に財産を渡す手助けをしてくれた者には銀三百両を謝礼にするよう書いてあった。しかし滕県令は実際の裁判で一芝居うち、金千両という大金を倪太守からのお礼だと称し、まんまと手に入れてしまう。その事実は、結局梅氏や善述も知らずじまいだった。このあたり、なかなか県令を単なる善人と書いていない点がリアルで面白い。




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(Tue)13:16

今古奇観 その二

ここからは「今古奇観」で私が個人的に好きな作品を紹介。
あくまで私見ですので、鵜呑みにしないでくださいね。
選ぶ観点としては、話の奇抜さ、テーマ性の強さ、歴史面の描き方などなど。

第二話「両県令競義婚孤女」

もとは醒世恒言の一遍。邦題は「二人の県令が義を競って孤女を嫁がしむること」

ものがたり
本編は五台十国の時代、地方政権の南唐が舞台。徳化県に石という清廉潔白な県令がいたが、官米を蓄えた倉庫で火事が起きたことをきっかけに多大な賠償を唐王から要求され、それがもとで病気になり死ぬ。彼には一人娘がおり、幼名を月香といった。彼女は家ほろんだ後女中と共に公売にかけられてしまうが、そこへかつて石県令に冤罪から助けて貰った賈という商人が通りかかり、二人を買い取る。月香と女中はしばらく安寧な日々を送るが、いじわるな賈の妻によって、賈がよそへ商売へ行っているうちに再び売られてしまう。月香は鍾という県令のもとで女中として仕えることになったが、ふとしたきっかけで鍾県令に素性を知られ、近々婚礼を結ぶ予定だった高県令と数度のやり取りをして、高家の長男に鍾家の長女を、高家の次男に月香を嫁がせるということで話をつける。両県令はその義に厚い行いのおかげで、子孫も繁栄を極めた。

とまあこんな感じ。
冒頭には入話があり、本編とは真逆の内容。
舞台は五台十国時代の南唐となっており、正直な話中国史に多少通じていないとイメージがわかないかもしれません。唐の名を冠しているだけあって、この時期乱立していた地方政権の中では強大な国でした。もっとも、今回は特に歴史と物語が絡んでは来ないので無視してもオッケー。

中国通に興味深いのは、やはり序盤の公売の場面でしょう。県令の娘月香とその女中はそれぞれ、五十両、三十両で買い取られました。その当時の相場が結構気になるところ。今回は良家のお嬢様とその女中が売られているということもあり、値段が跳ね上がっているわけです。
ちなみに支払いは紋銀。ここらへんなんか史実的に怪しい気がしなくもない。乱世の時代だから、銀のような貨幣の方が使い勝手はいいとは思うのですが、本当に紋銀なんかあったんかな。
当時の読本に対する一つの批判として、歴史公証がいい加減な点がある。おおまかにいってしまえば書き手の教養不足が目立つ。これは短編のみならず長編でも言えることで、例えば金瓶梅は宋代の物語でありながら、登場人物たちの暮らしの描写や官制は明代のものだったり。小説が民間に流布した割に長いこと知識人層から評価を得られなかったのはこうした点が大きいのでは。

賈家に売られた月香と女中が賈家の女房にいびられるさまはまさに昼ドラ。このあたりは読者の共感を呼ぶ大事なとこなので割と引っ張る。賈家の女房はてっきり月香を養女にしたものとばかり思っていたのだが、夫が彼女をお客様扱い(あくまで恩人の娘)し続けるので、我慢がならなかったというわけ。
物語の終盤に出てくる二人の県令は、身よりのない月香のために縁談を結んでやったわけだが、そのおかげで後の代まで繁栄しましたYO!というのは、この時代のパターンとはいえ安易極まりない。なんというか、彼ら二人の行いと後生の繁栄にまるで因果関係が感じられず、とってつけたような感じ。もう少し技量のある作者だと、ここらへんがある程度ご都合主義から脱却している。

とはいえ、読後感のよい作品です。一番の見どころはやっぱり賈家の女房に月香と女中がいびられる場面でしょう。昼ドラ好きにはたまりませんわな。




2012_12
25
(Tue)12:21

今古奇観 その一

最近スランプです。リハビリもかねて、これまでに書きためておいたレビューを放出します。

今回紹介する古典「今古奇観」は全四十集の短編小説集。
本作は明末の「三言二拍」という五種類の読本にある二百編の小説のうち、特に優れたものを抱甕老人が四十集にしてまとめたもの。ちなみに三言とは馮夢竜の「喻世明言」「警世通言」「醒世恒言」を指し、二拍は凌濛初の「初刻拍案惊奇」「二刻拍案惊奇」のことを言う。今古奇観の編者である抱甕老人については謎が多い。全四十集のうち、多くが三言で占められているので、一説には馮夢竜本人か、彼と親しい人物だったとも。
「今古奇観」や「三言二拍」のお話は江戸時代に日本へ輸入され、日本人向けにアレンジされたものが読本として出回っている。あの読本のルーツが実は中国にあったり…と、色んな意味で楽しめる。

「今古奇観」におさめられている小説はいずれも当時の黄金パターンにのっとって作られた作品ばかりであり、中国古典をかじったことのある人なら難なく読み進めることが出来る。また元ネタが唐代の伝奇などから引っ張られている作品もあり、作者のアレンジを楽しむのもまた一興。一つ一つの話が短いぶん、いきなり三国志や水滸伝のような長編の原典を読むのはムリ! という方々におすすめ。

また、上で当時の黄金パターンと書きましたが、それについてもう少し詳しく説明しておきましょう。
当時の小説(説話小説とも呼ばれる)は、そもそも街角の講談が発展していったものなので、文体や語り口が講談っぽいのが特徴。作者が途中で「皆様お聞きください」「さて皆様どうなったと思われます?」云々と本編に合の手を入れたりする。
また近世以前の中国において小説というジャンルはそもそも歴史書の扱いなので、書いてあることはたとえ荒唐無稽な話でも基本的には事実ということになっている。これはあらゆる中国古典小説を読むうえで大事な認識なので、知っておくが吉。
お話のジャンルは煙粉(恋愛物)、公案(裁判物)、志怪(ホラーもの)、伝奇(人物伝)、鉄騎児(軍記物)など幅広い。

小説の話の構成は、基本的に次のパターンを踏襲している。
定場詩・入話→正話→収場詩

1、定場詩・入話
…本編に入る前に、本編の趣旨などをわかりやすく語ったもの。聞き手が話に入りやすいようにするために用いられる。話によっては定場詩しか無い、あるいはどちらも無いといった場合もある。

2、正話
…本編のこと。

3、収場詩
…物語を締める、まとめの詩詞。古典小説では、詩句で物語を結ぶのが基本となっている。これまた物語の趣旨、作者のテーマを読者にわかりやすく伝えるためのもの。

本レビューでは、「今古奇観」の中から面白そうなものをピックアップしてレビューしていきます。皆様の読書に役立てていただければ幸いです。
参考文献は中国古典文学大系「今古奇観 上下」巻です。