第七十三回 ああっ気弱な迎春お姉様!


・趙氏が慌てて外に出てみれば、何のことはない、雨戸が外れていただけ。彼女は外にいた侍女達をガミガミ怒鳴りつけて戻っていった。

・が、雨戸が外れていたのは偶然ではなかった。趙氏つきの侍女、小鵲は急ぎ宝玉の部屋へ駆けつけ、晴雯に進言。
「うちの奥様が、旦那様に宝玉様のことを告げ口していたんです。ご用心くださいませ」

・明日はきっと賈政からご下問があるだろう。きっと勉強の進展を聞かれるだろうから、今のうちに備えるしかない。急ぎ読書にかかるが、どうにか暗唱できそうなのは「大学」「中庸」「論語」くらい。特に科挙試験で必須の八股文に至っては「こんなのクソ役人が金のためにやってるだけのもんだしww」と日頃から毛嫌いしていたため、ろくに書けない始末。やべえ…やべえよ…。
読書に励む宝玉。襲人・晴雯・麝月は彼のそばでお茶を汲むやら灯りをつけなおすやら、夜を通してまめまめしく仕える。が、若い侍女達はたったまま居眠りを始める始末。
晴雯「おらテメーら! 昼も夜も居眠りしてるくせに、まだ寝たりないっての! 私が針で脳天突いたろかコラァ!」
 その一声で、外見張りの侍女見習いがごつんと壁に頭をぶつけ、てっきり晴雯に打たれたと勘違いし、わっと泣き叫ぶ。
「お姉様お許しください! 二度といたしません!」
 宝玉はじめ、笑い出す一同。
「もう許しておやり。みんな代わる代わる休んだらいいよ」
 それをたしなめる襲人。
「お気持ちを読書に集中してくださいな。私達への気遣いは無用ですから」
 読書を続けていたところ、外で何やら物音。侍女見習いが入ってきて、人が忍び込んできたのだと叫ぶ。これにぴんときたのが晴雯。
「若様、仮病をつかうんですよ! 人が忍び込んできたせいで肝を潰しました、それで病気になりましたってね!」
 そこで一同、大袈裟に騒いで侵入者の捜索と、宝玉の薬の調達に。王夫人も事態を聞きつけ、結局史太君もその話を耳に入れる。
「そういうことはいつか起こるんじゃないかと思っていたよ。今じゃ宿直の人間もさっぱり気が抜けているからね」
 不機嫌な史太君を前にして、何も言えないでいる奥方一同。そこへ進み出る賈探春。
「近頃の使用人はだらしなくなって、暇な時にはいつも賭事をしてるんです。奥方様がご多忙なので、申し上げずにいたんですけれど」
「お前達は賭事なんぞよくあることだと思っているのかもしれないが、賭事をすれば酒を飲んだり仕事をさぼったりで気風が乱れ、ついには強盗に入られたりすることになるんだよ! こういうことは許してはおけないのだ」
 激怒する史太君。煕鳳は慌てて林之孝夫妻を呼び、賭博に関係した人間達へ厳しい罰を与える。賭博に関与していた人間のボス格は林之孝のかみさんの叔母、厨房の柳のかみさんの妹、そして賈迎春の乳母。史太君の命令で、容赦なく三人に罰が加えられる。林之孝は自分の叔母を打つ羽目になり、迎春も自分の乳母が規則を犯したとして、いたたまれない思いになるのだった。

・史太君の侍女見習いには、おでぶちゃんでちょっと頭の足りない「馬鹿姐や」という子がいた。ある日大観園にてコオロギを捕まえて遊んでいると、小さな香袋を見つける。袋には裸の男女が身体を絡ませ合っている絵が書いてあったが、若い馬鹿姐やには何が何やらわからない。「ご隠居サマへ見せにいこ!」と思い立って駆けだしたところ、邢夫人にぶつかってしまい、彼女に香袋を見せる。
途端に顔色を変える邢夫人。
「お前! どこでこんな物を拾ったの! これのことは絶対口外してはならないからね!」
 ひとまず自分の袖にしまい込み、あれこれ思案しながら迎春の部屋へやってくる邢夫人。

・迎春は乳母が賭博をしていた件で気落ちしていたが、そこへ降ってきたのが義母の説教。
「お前ときたら体だけ大きくなって、乳母の間違いの注意も出来ないのかい! 他のところは何も起きていないのに、何でうちのところだけこんな目に遭うの!」
「わたくしも注意はしたのですが…聞いてもらえなくて」
「だったら私に言えばいいでしょ! こんな大事になるまで放っておくなんて。あの乳母も賭博のボスをやってたからには、お前の部屋から簪やら着物をくすねていたに違いないよ。そんなことで、お節句はどう越すつもり?」
 何も言えなくなる迎春へ、さらに追い打ち。
「お前の兄夫婦達は人から散々持ち上げられているし、お前の妹の探ちゃんはしっかり者だ。同じ妾腹なのに、年上のお前が妹の足下にも寄りつけないなんて、どういうわけだろうね! 母親でいえば、お前の母の方が探ちゃんの母よりよほどちゃんとしていたのにさ!」

・史太君の呼び出して邢夫人が去っていくと、侍女の繍橘が迎春へ口を尖らせた。
「お嬢様の真珠の簪が消え失せたのは、やっぱりあの乳母の仕業だったんですわ」
「わかってるのよ。私、あの乳母がちょっと簪を借りたら返してくれると思っていたんだけど、どうしてだか忘れてしまったのね。別に、物が無くなったら無くなったでいいのよ。事を荒立てないでちょうだい」
 しかし、王煕鳳へ報告すべきといって譲らない繍橘。そこで進み出たのが迎春の乳母の倅・王住児のかみさん。繍橘に報告されては自分も罰せられるかもしれないと思い、彼女をを言いくるめようとする。醜い言い争いが起きる中、うんざりした迎春は彼らを無視して部屋の隅に座り、本を読みふけるのだった。

・そんなところへ、迎春を慰めようとやってきた大観園の姉妹達。探春は言い争いを耳にしてずんずん中に入ってきた。慌てて出迎える迎春。
探春「主にお金がなくて召使いから巻き上げてる、なんて言葉が聞こえましたけど、まさか迎春お姉様のことじゃありませんわね? それとも、お姉様に月々のお給金が行き渡ってないということかしら?」
 猛烈に頷く侍女達。
「お給金が乳母さんから手渡されるわけですけど、その額面は乳母さんしか知らないし、必要な時しか渡してくれません。それなのに、乳母さんは私達がお金を使いすぎてる、なんて言うんです!」
 そこへ割ってはいる迎春。
「こんな人達の言うこと、あなたには関係ないでしょう」
「それこそおかしなことです。お姉様のことは私のことも同然なんですから」
 話をしながら、こっそり侍女の待書に平児を呼ばせている探春。平児がすぐに駆けつけてきて、何が起きたのかを尋ねる。王住児のかみさんは形勢悪しと、慌てて平児に愛想笑い。
「お姉様、詳しい事情はわたくしがお話ししますから!」
平児「お嬢様が話をしているのに、どうしてお前ごときが口を挟めるの! 大体外勤めの人間がお嬢様の部屋へ入ること自体間違いですよ!」
 平児は王住児のかみさんに続いて侍女達も叱りつける。しかし探春はさすがに切れ者で、平児の叱責だけで納得しない。
探春「一体どういうわけなんでしょうね、今回のことは。あの乳母さんとやらが本当に道理も弁えないせいで起きたことなのか、それとも誰かの差し金で、初めは大人しい迎春お姉様、それから私や惜春ちゃんからも巻き上げようってことなのかしら」
平児「まさかそんな! それでは鳳奥様の立つ瀬がございませんわ」
探春「でも、私も人事じゃありませんしね」
平児「では、お嬢様方のお考えはどうなのでしょう?」
 それまで迎春と本を読み、黙っていた宝釵が笑いながら答える。
「そんなの、乳母達の自業自得で、私達にはどうしようもないことだわ。乳母を庇う気は無いけれど、かといって責めることも出来ないし。あなた達にお任せします」
黛玉「そんなことじゃ、もし迎春お姉様が男だったら、どうやって屋敷を治めていくのかしらね」
迎春「実際、殿方が大勢いてこんな有様ですもの。私ではなおさら酷いことになりますわ」

小言
ようやくやってきました主役回。生来大人しく、目下の者達にも強気になれないか弱い迎春。四姉妹の中でも、卓越した身分にいる元春、家中から頼りにされている探春、幼いながら絵画の才能を持ち、主張すべき時は強い意志を見せる惜春などに比べ、迎春の立場の無さは余りにも哀れ。ちなみに前の回でも軽く触れたが、ケチな邢夫人が迎春へ回すお金を一両減らし、かつ邢岫烟が寝泊まりしていたので他の部屋よりも懐事情が逼迫していたりする。侍女達が怒るのも無理はない。
そのほかの見所としては、何とか賈政をやり過ごそうとする宝玉の場面。テスト前に主要五科目を一夜漬けするようなもんである。ちなみに今回は、強盗が入ってきたという空騒ぎでどうにか政の追求をやり過ごしたが、後の回で本当に強盗が入ってくるんだから笑えない。
また前回の家計逼迫に続き、賭博騒動が騒がれる。屋敷の使用人の数が増えると仕事が楽になり、楽になれば暇な時間が出来、暇な時間が出来ると主の目を盗んで遊び出す…という悪循環になってしまっている。

気になる人物達
賈迎春…彼女は善良で、悪い人間ではない。ただ周囲がロクデナシなばかりに、とばっちりを食らっている。親父は変態、母は故人、義母は自己中、兄貴は浮気者。侍女にしても頼りになるはずだった司棋が規則を犯し、乳母も賭事に興じていたりと散々。加えて悲しいのが、迎春自身が人から愛されるような才能や容姿を持ち合わせていないこと。ああ、もう書いているだけで泣けてくる。紅楼夢で最も不幸なヒロインって迎春なんじゃなかろうか、というのが私の印象。ちなみに今回のラスト、バージョンによっては迎春の台詞に「私は人を救えないけれど、私も人と仇は結ばない」という一言がつけ加えられている。迎春の性格をそのまま表したような、何とも素晴らしい台詞だと思う。
賈探春…姉貴のふがいなさに少しイラっときている模様。もっと優しくしてあげて…。家政を切り盛りした経験か、家の内情に何か胡散臭いものを感じているご様子。
林黛玉…親がいないとか病気が重いとかで日頃めそめそしているが、迎春お姉様もとても苦しんでいるのだよ。何だかんだ宝玉や宝釵に紫鵑などの親しい人達がいるわけで、人間関係的には迎春より恵まれている。
薛宝釵…ラストにおける彼女の台詞は、恐らく迎春の気持ちを代弁してやったものだと思われる。それに続く黛玉の台詞で台無しになってる気もするが(黛ちゃん的にはいつものキツい冗談のつもりなんだろうけど)。
平児…みんなの頼れる正義の味方。がしかし、探春には深く追求されてたじたじ気味。
邢夫人…日頃何の手助けもしてくれない癖に、こういう時だけ娘をガミガミ怒りつける。いけ好かない。
史太君…家の気風が乱れていることに大層ご立腹。
その他奥方達…お前ら黙ってないで本当のこと言えよ。
馬鹿姐や…史太君の侍女見習い。下働きだが、キビキビ働くし、頭足らずな言動も愛らしいので史太君のお気に入り。実は紅楼夢の大きな事件に関わるキーパーソンでもある。
賈宝玉…親父に詰問されそうになり、慌てて勉強。四書五経の暗証だけでも相当な字数になるから、一夜漬けで間に合うわけがない。
襲人・晴雯・麝月…上級侍女だけに働きぶりもしっかりしている。さすが。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://ryunohige5884.blog.fc2.com/tb.php/162-84c1331f