2015_06
22
(Mon)00:04

紅楼夢 後四十回について



 さて、これまでのレビューでも幾度か触れてきたが、原作者・曹雪芹による物語は八十回で終了しており、残り四十回は続作者によって補われている。この続作というのが真面目なものからハチャメチャなものまで色々存在するのだが、現在一般的に採用されているのが高鶚(この人自身も本当に続作者なのか諸説あるんだけど、まあそこは割愛)による後四十回である。
 で、その出来映えはどうかというと、実はあんまり良くない。
 以下、よく述べられる欠点を挙げていく。
一、主要登場人物達の人物像の変化(例:宝玉はじめ数えるとキリがない)
二、放置された伏線の多さ(例:賈家の末路、史湘雲の婚約者、林紅玉と賈芸などをはじめとした登場人物達の物語の結末)
三、その癖、妙なところで前八十回と整合性をとろうとする。そのため後半の展開に合わせてわざわざ前八十回を書き換えるということまでやっていたりする。(死んだ柳五児を生き返らせるなど)
 つまり、後四十回ははっきり言って出来が悪いので読まなくてよし、オシマイ! ……とかいうわけでもなく、この版が現在もなお紅楼夢の正式な続編として読み継がれるに相応しい部分も、ちゃあんと存在する。
 まず、欠点はあるにせよきちんと物語を終わらせたこと。何より、宝黛釵の悲劇に関しては原案に随分忠実だと思われる。黛玉の死、宝釵との偽装結婚、冷めた夫婦生活といった展開は、ドラマや舞台でも殆ど変えられることが無い。それだけ人々に支持されているということだろう。実際、当時作られた紅楼夢の続作は「死んだ黛玉達が軒並み生き返って宝玉の妾になる」「宝玉の正妻となった黛玉がバリバリ家政をとりしきる」「宝釵・襲人など、宝黛の仲を結果的に引き裂いてしまったキャラクターへの過剰なイジメ」といった安直極まりないものも存在する。そんな中で、来るべき悲劇を真正面から描いたこの後四十回は評価されてしかるべき。
 また、悲劇の中に希望を持たせたラストも、個人的には非常に評価したい。もともとの原案では、現行本よりもっと悲惨になる予定だったことが、断片的な資料や研究者達によって明らかにされている。
 個人的には、紅楼夢がの原案そのままのラストだったら、果たしてこれだけ多くの読者に受け入れられたか甚だ疑問のような気がする。まったく気が滅入ってしょうがないお話になっただろう。俗に古典悲劇といわれる中国小説の作品群も、大体は救いが最後に用意されている。例えば嬌紅記の主役カップルはどちらも死んでしまうけど合葬されたし、竇娥冤だってちゃんと仇を討ってもらえる。もちろん、高鶚のせいで紅楼夢のラストが平凡な通俗小説のそれになってしまったと批判する意見もあるかもしれない。だがそれはそれでいいではないか。
 そもそも中国古典小説は、庶民のための通俗小説なのだ。三国志しかり水滸伝しかり、庶民の声が少なからず反映されて現代のあの形になっているのだ。高鶚の後四十回が現行本として今日存在しているのも、やっぱり少なからぬ支持があったからだと言わなければならない。
 今でこそ文学なんて肩書きがついてしまうけれど、私は中国小説の「俗っぽい」ところが非常に好きだ。何だかお堅くて説教くさくて政治的メッセージだらけの現代中国文学より、ずっと楽しめる。
 そういうわけで、ファンの間で色々語られる後四十回を良いところ、悪いところ含めて引き続き紹介したいと思います。
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C.O.M.M.E.N.T

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