第九十六回 悲しき 知らせ


・偽通霊宝玉騒動で、街には賈家の悪い噂が広まった。

・正月の十七日、王夫人のもとへ一つの知らせが届く。なんと大臣に出世した弟の王子騰が、上京の途中で病気にかかり死んでしまったというのだ。泣き崩れる王夫人。賈政もまた仕事のため家を空けなければならず、家庭内のごたごたに構いきれない状況だった。

・近頃の災難続きにうんざりした史太君は、賈政を呼び寄せて言う。
「私ももう八十を過ぎた身だ。今度お前が仕事で出払ってしばえば、残るのは宝玉一人だけ。そこで相談なんだが、縁起直しに宝玉を宝釵ちゃんと結ばせようと思うんだよ。実は、占いで金の首飾りをした者を娶らせなさいと出てね」
「お母様がそのようにお考えならば、もっともなお話でございますが……」
 賈政自身も齢六十になり、宝玉のことは気にかけていたのだが、いかんせん薛家が殺人事件の裁判中でもあるため、結婚のタイミングとしては思わしくない。しかし史太君がどうしても事を押し進めるので、やむなく承知するのだった。

・襲人は宝玉の結婚相手が宝釵だと知って密かに喜ぶ。が、長年仕えてきた彼女は、主の心にあるのは林黛玉一人だとわかっている。もし結婚相手が宝釵になったら、宝玉はまた一波乱起こすに違いない……。そこで、急ぎ王夫人のもとへ相談。これまで自分が見てきた宝玉と黛玉の仲について、ありありとぶちまける。

・襲人の話を聞いた王夫人は、確かにまずいと考え史太君らに相談。すると王熙鳳がにこやかに言う。
「それでしたら、一ついい考えがありますわ」
 王熙鳳の案とは「掉包児」。下等品を上等品にすり替える詐欺師の手口である。つまり宝玉には表向き、黛玉を嫁にするのだと知らせておいて、実際の結婚日には宝釵と娶らせる…というもの。宝玉は病気で頭がしっかりしていないし、うまくやれば騙し仰せるだろう。賛成する王夫人。史太君は騙しの片棒を担ぐ宝釵が気の毒であり、また事実を知った黛玉がどうなるか不安に思ったものの、他に方法は無さそうだった。

・ある日、黛玉は紫鵑を連れて史太君のもとへうかがおうとしたが、手巾を忘れたのに気がついて紫鵑に取りに行かせる。彼女の帰りを待っていると、どこからすすり泣く声が。侍女の誰かが泣いているのかな、と思って近づいてみると、それは下働きの下級侍女のようだった。
「ふ~ん、こんなニブチンそうな娘も人並みに悩んで泣いたりするんだな」(←ヒデェ!)と思いながら、黛玉は声をかけた。
「あんた一体どうしたの?」
「それが、うっかり上の姉さん達のお話を聞いて、ちょっと口を滑らせたら凄く怒られたんです」
「上の姉さん達って誰よ?」
「珍珠お姉さんです」
 ははあ、史太君のところの侍女なのかと合点がいった黛玉。馬鹿姐やと名乗るその侍女に、どうして怒られたのかを尋ねると、とんでもない答えが返ってきた。
「宝玉様が、薛お嬢様をお嫁に迎えるってことを聞いて、それをちょっと口にしただけなんです」
 黛玉、頭真っ白。
「ご隠居様は、近々旦那様が任地へ赴任するので、その前に薛お嬢様を宝玉様のお嫁さんにするんだって言ってました。その後で、林お嬢様にも相手を探すんだって。私、そのことを一言人前で口にしただけなんです。おめでたいことなのに、上の方々はどうして口止めなさるんでしょう?」
 何もかもぶちまける馬鹿姐や。黛玉は茫然自失、バカねえやをその場から帰らせると、自分がどこにいるかも忘れてあっちこっち歩き回る。そこへ、紫鵑が慌てて駆けつけてきた。
「もう、お嬢様! いったいどちらへ行かれるおつもりです?」
「ワタシ、ホーギョクサンノトコロヘイクノ。アノカタニキキタイコトガアルノ」
 紫鵑は主の様子がおかしいし、宝玉も病気中で会わせるのはまずいと考えたが、黛玉は恐るべき早さでずんずん宝玉の部屋へ向かっていくので、止めようにも間に合わなかった。

・こちら襲人。いきなり黛玉がやってきたのでびっくり。黛玉はさっさと奥へ行き、宝玉の向かいに腰掛ける。何も言わずニタニタしているだけの宝玉。黛玉は言葉をかけるでもなく、やはり宝玉を見つめてニタニタ笑っている。困惑する襲人。すると、突然黛玉が口を開いた。
「宝玉さん、あなたどうしてご病気になったの?」
「黛ちゃんのために病気になったんです」
 そして馬鹿笑いする二人。びっくりする襲人と紫鵑。これは二人ともおかしくなってしまったに違いない。慌てて黛玉を連れ出す紫鵑。
「お嬢様、お部屋に戻りませんと」
「そーね。私、戻らなきゃ。あははは…」
 言うなり、侍女の手も借りず足早に出て行く黛玉。へらへら笑いながら、ようやく湘瀟館までやってくる。紫鵑がほっとした矢先、黛玉の身がかしいで、かぶりと血を吐いてしまう……。

次回を待て

小言
次々襲いかかる不幸を前にして、縁起直しのために宝玉と宝釵の結婚を薦める賈家。それがまた別の悲劇を生むとは露知らず…。身内が亡くなっているのに婚礼をしようというのは、当時の一般認識から考えても相当無理がある。が、史太君らは縁起直しという理屈づけでその矛盾を乗り切っている。中国小説を読んでいるとしばしば面白く感じることだが、こういう礼儀作法が壁になる状況にぶつかると、柔軟に理屈を駆使して乗り切ろうとする展開が少なくない。何だかんだで礼節<その場の状況、なのだ。偉い立場の人間の一言で、簡単に礼節がねじ曲がってしまうこともある。


気になる人物達
林黛玉…前回の浮かれぶりもどこへやら、いきなり不幸のどん底に叩き落とされてしまった。
紫鵑…主への思いやりは海より深いが、肝心な時にいつも力及ばずだったりする。
賈宝玉…主人公。デクノボー状態。
襲人…今回で彼女を嫌いになる人も多いんじゃなかろうか。やってることが完全に悪役。主が林黛玉を好きだと知っていながら、二人をくっつけるのではなく宝釵との結婚の障害になるので対策を練るよう王夫人に進言。酷過ぎ。まあ好意的に解釈すれば、側室の襲人に結婚相手を黛玉にしてくれと言う権限はないわけだし、主のことも思いやっての行動ではあるんだろうけど。
史太君…頭にあるのは家庭内の厄落としばかりで、大人の都合に振り回される黛玉や宝釵のことは気の毒だと思ったものの、強引に結婚を進めようとする。彼女の口にする婚礼の形式もかなり無茶苦茶で、とにかく結婚の既成事実を作ってしまえという感じ。そんなんでいいのお?
王夫人…弟の死にすっかり気落ちしている。黛玉のことは本人も懸念していたのか、襲人の案をすんなり受け入れる。
王煕鳳…掉包児の策を考えた張本人。そもそも宝釵を嫁に、と何度も進言しているのは他ならぬ王煕鳳であり、黛玉を結婚相手にさせまいとしている。直接的には語られていないが、黛玉が宝玉の正妻になられては王煕鳳としても困るのだ。というのも、王煕鳳自身は家庭内で権力を行使し、あくどいことにも手を染めている。これがもし薛宝釵なら、性格的にも出しゃばらないし物の観方も現実的だからまだ付き合いやすい。が、病弱で偏屈な林黛玉では、王煕鳳の家事運営の助けになるどころか、邪魔になる可能性もある。王煕鳳の立場からすると、黛玉を宝玉の正妻にするメリットは無いといっていい。また、史太君が婚礼を急ぐように考えたきっかけは市中の占いなのだが、これも実は王煕鳳が裏で手をまわしていたのでは、という説がある。
賈政…家庭内でどたばたしているうちに、またも遠地へ赴任することに。ああ忙しや。宝玉の結婚には時期が悪いので反対だったが、母親の命令ということで逆らえるわけも無く。
馬鹿姐や…第七十三回に登場した史太君の侍女見習い。おバカさんなので黛玉に結婚のことを丸々ぶちまけてしまった。
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