第百二十回 笑うなかれ、人を痴よと


・賈宝玉の失踪を嘆き悲しむあまり病気になってしまった襲人。朦朧とする意識の中、一人の若い僧が現れて彼女に語りかける。
「心得違いをしちゃいけないよ。僕と君はもう赤の他人なんだからね」
 そこで目が醒めた襲人は密かに確信する。
「若様はあのお坊様についていってしまったんだわ。あの方に会って以来、まるで人が変わってしまい、思いやりを少しも感じなくなった。でも、悟りが開けたからといって、あんなにあっさり私や若奥様を捨てるなんて! 私は妾といってもまだ正式に認めて貰ったわけではないから、後家を通すことも出来ない。こんな辛い立場におかれるくらいなら、いっそ死んでしまおう!」

・亡くなった家族の棺を各地へ送り届けていた賈政のもとへ、次々と家の近況が届けられる。そこで全ての棺を送り終えるなり、帰路を急ぐ。
ある雪の降った日、船の渡し場で若い僧がこちらに向かって叩頭しているのが見えた。目を凝らした政は、思わず叫ぶ。
「お前は宝玉ではないか!」
 僧は悲しそうな顔をした。そして背後にいた僧と道士に促されて立ち去っていく。政は全力で追いかけたが、とうとう彼に追いつくことは出来なかった。

・薛未亡人は天子から大赦がくだったのにかこつけて金を工面し、ついに薛蟠を牢獄から助け出した。再会を喜ぶ一家。
薛蟠「もしまたこのようなことをしでかしたら、今度こそ八つ裂きにされても構いません」
薛未亡人「もういいのよ。それより香菱はお前に仕えてからずっと苦労続きだったわ。お前にそのつもりがあるなら、彼女を正妻にして大事にしておやり」
 薛蟠にも否やはない。以降、香菱は正妻として彼に仕えるのだった。

・賈政が程なく帰宅するとの手紙が届き、家族も喜びにわいた。話題が宝玉に及ぶと、王夫人や宝釵が涙に暮れる。賈蘭はそれを慰めた。
「役人になっても、しくじりをして財産を取り上げられたらやっぱり大変なことです。それよりは、我が一族から仙人を輩出した方が功徳というものではないですか?」
王夫人「宝玉が私を捨てても、恨みには想わないわ。それよりも嫁が不幸なのが可哀想でなりません。まだ嫁いで一、二年にしかならないというのに。こんなことになるとわかっていたら、嫁に迎えるべきではありませんでした」
李紈「これも前世の約束事ですわ。幸い宝釵ちゃんは子種を授かりましたから、産まれてくる子が家を盛り立ててくれるかもしれません」
その言葉で王夫人も納得する。宝釵本人もこの因縁を受け入れ、誰を恨むこともせず将来に目を向けていた。

・薛未亡人は、宝玉を想って煩っている襲人を心配していた。彼女がまだ正式な妾として披露宴もしていない以上、後家を通すことは許されない。実家の者に引き取らせ、適当な相手へ嫁がせるのが一番だと結論。そこで襲人を呼び寄せて言い含めると、彼女も素直に承知した。

・賈赦・賈珍・賈政らが相次いで帰宅し、再会を喜ぶ家族達。ただ一人戻らないのは宝玉だけ。悲しみに沈む皆を賈政は励ました。
「これも全て定めだ。今後は以前のようにいい加減なことはせず、皆で協力して家事を見ていくのだぞ」
後日、賈政は天子にお目通り。天子は宝玉の摩訶不思議な失踪を聞いて「文妙真人」の称号を与えた。

・襲人の兄、花自芳が王夫人のもとへ縁談の話を持ってくる。相手は城南の人間で、土地も金もそこそこ持っているイケメンとのこと。王夫人は二つ返事で承知した。

・襲人は後家を通せないなら死ぬつもりだったが、縁談話がトントン拍子に進んでしまい、王夫人の好意も無下にしかねたので、賈家で死ぬのはまずいと考える。そこで実家に帰ったらすぐに死のうとしたが、いざ実家に戻ると兄が立派な嫁入り道具をドッサリ用意していたので、ここで死んだら兄に迷惑がかかると、またしてもチャンスを失う。結局、悩んでいるうちに婚礼が進んでしまった。嫁ぎ先で死ぬつもりだったが、婚礼は本妻の形式で行われ、家人達も奥様奥様と下におかぬもてなしぶり、そのうえ婿がイケメンで物凄く優しいので、とうとう決意が萎えてしまう。

・翌日のこと。婿は襲人の婚礼道具から一つの赤い帯を見つける。それはかつて、自分がある人に与えたものだった。この婿こそ元役者の蒋玉函、かつて宝玉と親交の証に、帯を交換したのだ。襲人は前世の因縁の正体を知り、この運命を受け入るしかなくなったのだった。

・弾劾にあっていた賈雨村は、天子の大赦で平民の身分に落とされて放免されていた。家族と共に本籍地へ戻る途中、渡し場で一人の道士に会う。それは甄士隠だった。草案で語り合う二人の話題はお互いのこと、失踪した宝玉のこと、栄寧両邸の将来のこと…。しばらくして、甄士隠は俗縁を片づけにいくと言い出す。何でも薛家に嫁いだ娘が難産で亡くなるので、魂を迎えに行くのだとか。その話を聞いた途端、雨村は意識が遠のいてその場で眠り込んでしまう。

・香菱の魂を連れて太虚幻境にやってきた甄士隠。そこで僧と道士に出会う。
「お二方、お役目は終わりましたかな?」
「それが全て片づかないうちにあやつが戻ってきましてな。これから青埂峯へ戻し、これまでの経歴を記録するところですじゃ」
 僧と道士は士隠と別れ、青埂峯に宝玉を置くと、そのまま去っていった。

・それから後のこと。空空道人は石に記された物語を見て、これは珍しいと全て書き写す。暇な人がいたらこれを渡して広めて貰おうと思ったが、誰も相手にしてくれない。行き着いた草庵で寝ていた男にその話をすると、曹雪芹を訪ねるように言われる。その後曹雪芹のもとへやってきた空空道人、書き写した原稿を見せた。すると相手は笑いだした。
「こういう代物は暇な人間が酒を酌み交わし、寂しさを紛らわすついでに読む代物。見識ある人間に品評してもらうものではありませんよ」
 これを聞くと、空空道人も本を投げ出し、笑いながら立ち去った。
「なるほどな。所詮根拠のない絵空事、ただ人を楽しませるだけのものに過ぎないのだ!」
 さらにまた後、この物語を読んだ者はこう記した。

 辛い物語は
 作り物であってもやっぱり悲しい
 もとはただの夢でも
 笑っちゃいけない 馬鹿な人だと

全書完

小言
紅楼夢最終回。賈家は滅びつつも、復興の希望を匂わせる見事なエンドになっている。キャラクターについても、宝釵、香菱、巧姐といった、原版で不幸な結末を迎える予定だった人物が救われている。
前回も触れたが、続作者は意図的に原案をこのラストへ改変した可能性がある。悲劇を完遂しなければ原版の意図が歪んでしまうのは確かなのだが、正直原版通りだったら気が滅入って仕方ないお話になっていたはずだ。賈家が滅び、登場人物が軒並み死に絶える展開なんて、とても読めたもんじゃないだろう。特に中国の古典小説は悲劇を嫌う傾向にある。林黛玉の死を最大の悲劇として区切りをつけ、ラストを穏やかなものとしてまとめたからこそ、この現行本が現代に至るまで支持されているのではないかと思う(まあまともな八十回後の続書がこれぐらいしかないというのもあるんだろうけど)。ともかく、悲劇と喜劇をバランスよく織り交ぜた現行本は、色々な問題があるにせよ十分に傑作である。

締めくくりの人物達
賈宝玉…僧と道士に導かれて出家し、その後青埂峯に戻る。ちなみに神瑛使者の生まれ変わりだったはずが、この回だとその正体は通霊宝玉であったことになっている。結局何が何やら。
賈政…宝玉との別れの場面は息子への愛を感じ、ただただ涙。
花襲人…真面目に頑張ってきて、高貴な若様の側室というサクセスエンドだったはずが、結局身分相応の結婚をすることになった。まあ他の連中に比べればずっとマシなんだけど、果たして襲人は幸せになれるんだろうか。
蒋玉函…襲人と結婚。かつて宝玉と交換した帯を見て自分たちの因縁を知り、彼女を慈しむ。原案とほぼ同じ展開。
王夫人…何となく生き延びてしまった。ちっ。まあ、息子は失踪、家はガタガタで幸せともいえんけど。
薛宝釵…いやあ、周囲がフォローしてるけど全然幸せじゃないっすよ…。でも、どんな境遇でもめげない宝釵様は素敵です。お腹には宝玉の子供がいる模様。
賈探春…十二釵組の生き残り。原案だと遠地に嫁いで賈家に戻ることはなく、事実上の生き別れ状態。それに比べれば現行本はかなりマシといえる。とはいえ男児顔負けの才能を持ちながら女児であること、良い家族に恵まれなかったことを考えれば、やっぱり不幸なのかもしれない。
平児…最後の最後まで大活躍。そしてまさかの正妻昇格。ここまで終始輝いてる人も珍しい。不幸なキャラばかりが目立つ妾勢の中では、唯一の勝ち組でもある。
賈璉…最終的には随分まともな人間になった。王熙鳳、宝玉といった人物がいなくなった以上、賈家の今後は彼と平児にかかっているのではなかろうか。
巧姐…周家との縁談が決定した。原案だと田舎のビンボー暮らしだったらしいので、現行本ではかなり救われている。
劉婆さん…賈家と周家の仲人を務める。
賈惜春…妙玉の庵で修行を続けることになった。修行環境は申し分ないし、静かな余生を過ごせることだろう。ただ、世を捨てた途端に人も財産も戻ってきた現行本の展開は、ある意味彼女にとって悲劇とも言える。
賈赦…任地で労咳を患ったため、家で養生することに。
賈珍…こちらも放免され復職。いいのかなあ。
薛蟠…うわー、こいつも生き延びてしまったか。まあ最後の最後で獄死されても後味悪いけど。
香菱…正妻になったのもつかの間、一粒種を残して亡くなってしまった。でも作者の原案だともっと悲惨な結末だったらしいので、これで良かったのか。
薛未亡人…お金は無くなったけれど、家族一同はほぼ生き延びており、四家の中では一番幸せだったといえるかも。
甄士隠…出家しても娘のことを忘れていなかったんだなあ…って奥さんのことはいいのか。以前雨村に見殺しにされたことはまったく気にしていない様子。
賈雨村…物語の締め役。彼の出番をあえて最後に持ってきたのが心憎い。
僧&道士…宝玉を導く。金陵十二釵以外にもまだまだ現世に残ったヒロイン達がいるわけで、彼らの仕事が終わるのはまだ先になりそう。
空空道人…石の物語を記し、物語を結ぶ。
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