2012_12
25
(Tue)14:37

今古奇観 その四


第四話「杜十娘怒沉百宝箱」
「警世通言」十編の中からの一遍。中国でもかなり有名な作品で、映画にもなったりしています。邦題は「杜十娘が怒りに百宝の箱を投げ捨てる(厳密には沈める)こと」

ものがたり
時は明の万歴年間、北京の色街へ出歩いた李公子が出会った廓の名妓杜十娘。遊び好きで美男&金持ちの李公子はすっかり彼女に入れ込んでしまい、李十娘もまた彼のことを心から愛するように。しかし名妓だけあって、彼女のもとへ通ううちに李公子は素寒貧になってしまう。意地の悪い廓のかみさんはそんな李公子の窮状を知ったうえで、千両出せれば十娘を身請けさせてやってもいいと告げる。李十娘は幸いへそくりがあり、七百両までは工面することが出来た。李公子は同じ学生の友人、柳遇春に頼んで残りの金を集め、とうとう十娘を廓から連れ出す。ひとまず、厳格な父に妻を得たことを報告するため一路故郷を目指した二人だったが、途中船で小さな宴をした晩、孫富というよこしまな男が十娘の美貌と歌声に目をつける。孫富は言葉巧みに十娘と別れるよう李公子に語り、自分に十娘を引き渡す代わりに千両を差し上げるので、それで故郷の厳格な父に申し開きをすればよいと述べた。とうとう李公子もそれを承知し、十娘にそれを話してしまう。十娘は表向き孫富の考えを褒め称えた。が、翌日孫富と船上で取引する寸前、十娘は廓の同輩から貰っていた千金の財産(夫には内緒で隠し持っていた。郷里の舅にこれを見せて、結婚を納得してもらうため)を投げ捨て、李公子の不甲斐なさを罵って自らは川に身を投じてしまう。李公子と孫富はどちらもみじめな最期を遂げる。やがて都にいた柳遇春のもとへ、その十娘の捨てた宝が流れ着く。その晩、彼女は霊となって柳遇春の前に現れ、かつて身請けを手伝ってくれたことの礼を述べ、消えたのだった。


単純な筋書きながら、細かいところでこみいった事情があるので、何だか変なあらすじに。ごめんなさい。
まず時代考証としては、私の大好きな万歴年間ということで少々口酸っぱく言いたいところがあったり。本作では万歴期に起きた大三征(ボバイの乱、楊応龍の乱、朝鮮侵略)を平定したということで、史実では暗愚な皇帝であるはずの神宗が有能な皇帝であるかのように書かれている。うーん、なんだそりゃ。実際には、大三征のせいで軍費がかさみ、朝廷は多大な税金を農村へ課す羽目になったわけですが。まあ、都市部は依然として繁栄をほこっていたわけで、あながち間違いではないのかも?

遊女を妻にするというのは世間体にけっこう傷がつくことらしく、厳格な家庭では歓迎されなかった模様。しかし杜十娘は美貌だけでなく中身の方も立派な烈婦であり、そこが物語の肝でもある。
李公子ははっきりいってヘタレ。いわゆる才子佳人小説の男性キャラクターは貧弱な造型である場合が多いが、この作品の李公子はまさにそのヘタレのもっともたるもの。
いわゆる才子佳人小説の逆を目指しているのだろう。モテない士大夫層が己の願望をむき出しにして書いた才子佳人小説において、主人公のお相手の佳人は大抵宰相などの娘で、容貌は並外れ、文学にも通じているという、今どきのラノベでも見かけないようなほど高スペックなキャラであることがしばしば。そんな佳人に対して到底釣り合っていないような主人公が、科挙に合格したり佳人のピンチを救ったりすることでめでたく結ばれる、というのが話のセオリー。
それに比べると本作は、そういった才子佳人小説に出てくるような主人公へに皮肉ともとれるような内容ではなかろうか。そのために、本作はハッピーエンドとはなりえないわけで。
苦界の人間である十娘の方が、むしろよっぽど人間味に溢れ、義気にも溢れている。これも官界の人間に対するアンチテーゼでしょう。庶民にはずっと感情移入しやすいかも。
ちなみに、柳遇春の前に霊として現れた杜十娘は万福の挨拶をする。あの片手は拳を作り、もう片方は平手を作り、両方を胸の前で重ね合わせるやつです。古典小説だと、女性はこの万福で挨拶することが多いのですが、私的にはこの場面がかなり印象深く残っています。あんまり見かけないせいだろうか。紅楼夢なんかにも出てきたりするけど。結構清朝あたりの挨拶という印象が強い。




スポンサーサイト

C.O.M.M.E.N.T

コメントの投稿

非公開コメント

トラックバック